病歴をまとめてみようと試みた ~その2~
病歴詳細。・・・めっさ長くなっちゃったw
投薬の種類はほとんど省いてるのに・・・。
幼少の頃
鼻炎 → 気温差でくしゃみ、鼻が詰まってることが多い、など
~20代
風邪はほとんどひかない
暑がり
便秘気味(ミルマグを飲み始める)
生理不順気味(当初からだけど)
30歳前後
ごくたまに腹がゆるくなることあり
腹痛が全くないのに下痢っぽくなったことがかつて一回あった
布ナプキンにハマる
生理前の乳房痛を自覚
2006年10月
勤務先が某所へお引越し(実験系なのでそれはそれは大変だった)
2006年11月
引越しの後処理などで生活リズムが崩れる
人間関係も手伝って、睡眠不足に陥る
下血し始め、下血量が日を追うごとに増える
下血がジャージャーのレベル
2006年12月
大腸内視鏡のできる個人病院で、家のご近所じゃないところを探し受診
胃カメラと大腸内視鏡を受ける
胃には点状出血&炎症 → Proton pump inhibitor服用開始
大腸は直腸&S状結腸が一面真っ赤っ赤&潰瘍も散在
潰瘍性大腸炎(UC)と診断 → ペンタサと漢方服用開始
2007年1月か2月
自分の体に自信がなくなり乳がん検診と子宮頚癌検診をうけようとする
→ 乳がん検診のみ受診 → 異常なし(婦人科で受けたのが間違いだ)
2007年
目立ったUC(潰瘍性大腸炎)再燃はないが、CF(大腸内視鏡)では炎症あり
乳房痛がしっかりあるようになる(今思えば罹患側が特に)
2008年8月
右胸をポリポリ掻いててしこりに気づく
よく動く塊だったので、良性かもしれないという期待を抱く
2008年8月
でも…、と思い、UC(潰瘍性大腸炎)を診てもらってる医者に相談
そのクリニックの近くの乳腺外科に紹介してもらう
触診&エコー&マンモで良性と言われる(ひゃっほう♪)
→ 最終確定するために細胞診実施
→ クラスIVと言われ、組織診実施(@Д@;)
2008年9月
乳がん確定
グレード1
ホルモン感受性は強陽性
HER2陰性
乳頭腺管癌
正常細胞に近いガンだと言われる
オペはどこで受けてもいい、ここでもいいし、行きたい病院でもいいと言われる
2008年9月
セカンドオピニオンを受けようと思い、I市民病院に打診するもなかなか予約がとれない
2008年9月
後々のことを考えて、手術を受ける病院は通勤途中にある病院に決めた
そこをセカンドオピニオンの代わりにもした
2008年9月
マンモや組織診はすでに実施済みなため、他の検査をいろいろ受けた
CT、MRI、骨シンチ、出血時間の検査、肺活量検査、身長・体重測定
2008年10月
手術
病理結果は組織診同様
グレード1
ホルモン感受性は強陽性
HER2陰性
乳頭腺管癌 単一
脈管侵襲なし
リンパ管侵襲なし
センチネルリンパ節生検 0/3
大きさ 2.5cm
放射線治療を勤務先のお隣にある病院で出来ないか相談
→ 紹介状書いてもらう
内分泌療法(リュープリン注射&タモキシフェン服用)開始
2008年11月
放射線治療開始
2009年1月
内痔核摘出オペ受ける(〃_〃)
2009年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2009年8~9月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2010年3~7月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2011年4~6月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2011年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2011年10~11月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2012年2月
足底筋膜炎で超―痛い!
2012年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2013年5月
足底筋膜炎復活
2013年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2013年12月
乳がん術後5年の検査(骨シンチ・CT・マンモ・エコー)
全く問題なし
リュープリンとタモキシフェンの延長を頼む
2014年3月
足底筋膜炎復活
2014年4~6月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2014年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2014年11月~2015年1月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2015年2月
乳輪に沿ってる傷のところに米粒大のしこりに気づく
翌週一般外科でリュープリン注射をしてもらう予定を乳腺外科に変更してもらった
乳腺外科の主治医は、瘢痕かな、とつぶやく
エコーとマンモ実施
→ エコーには白っぽい塊が見える
マンモは透過してて何もみえなかった
細胞診実施 → 悪性(TДT)
2015年3月
再発手術(腫瘍摘出、日帰り)
一週間後に抜糸(というかテープはずし)
免疫染色は未実施だったが、腫瘍はまとまって存在し、取りきれたと言われた
病理報告をチラッとみたが、「転移」と書かれていた
2015年5月
免疫染色の結果を聞く
ホルモン感受性陽性
Ki67は10%
乳腺外科の受診間隔が振り出しの戻る(6ヶ月毎→3ヶ月毎)
5年目以降、一般外科と乳腺外科を交互に3ヶ月毎だった
(一般外科を受けてたのはリュープリン打ってもらうため)
【勝手なる考察】
★放射線受けたけど再発
→ 正常細胞に近いから分裂速度も遅い
→ 放射線の利きが悪い
★断端陰性だったけど再発
→ 再発は皮膚に近い部分
→ 組織診受けた辺りなので組織診時の播種かも
★タモキシフェン服用中だけど再発
→ これがナゾ
可能性1)プロドラックであるタモキシフェンを活性型に
変換する酵素が欠損あるいは低下
可能性2)タモキシフェンに耐性が出来た
可能性3)内在性(自家生産)のホルモンの量が豊富すぎる
★UC(潰瘍性大腸炎)がいつまでも炎症あり
→ 注腸薬使えばきっと炎症は消える(でも注腸は絶対イヤ!)
投薬の種類はほとんど省いてるのに・・・。
幼少の頃
鼻炎 → 気温差でくしゃみ、鼻が詰まってることが多い、など
~20代
風邪はほとんどひかない
暑がり
便秘気味(ミルマグを飲み始める)
生理不順気味(当初からだけど)
30歳前後
ごくたまに腹がゆるくなることあり
腹痛が全くないのに下痢っぽくなったことがかつて一回あった
布ナプキンにハマる
生理前の乳房痛を自覚
2006年10月
勤務先が某所へお引越し(実験系なのでそれはそれは大変だった)
2006年11月
引越しの後処理などで生活リズムが崩れる
人間関係も手伝って、睡眠不足に陥る
下血し始め、下血量が日を追うごとに増える
下血がジャージャーのレベル
2006年12月
大腸内視鏡のできる個人病院で、家のご近所じゃないところを探し受診
胃カメラと大腸内視鏡を受ける
胃には点状出血&炎症 → Proton pump inhibitor服用開始
大腸は直腸&S状結腸が一面真っ赤っ赤&潰瘍も散在
潰瘍性大腸炎(UC)と診断 → ペンタサと漢方服用開始
2007年1月か2月
自分の体に自信がなくなり乳がん検診と子宮頚癌検診をうけようとする
→ 乳がん検診のみ受診 → 異常なし(婦人科で受けたのが間違いだ)
2007年
目立ったUC(潰瘍性大腸炎)再燃はないが、CF(大腸内視鏡)では炎症あり
乳房痛がしっかりあるようになる(今思えば罹患側が特に)
2008年8月
右胸をポリポリ掻いててしこりに気づく
よく動く塊だったので、良性かもしれないという期待を抱く
2008年8月
でも…、と思い、UC(潰瘍性大腸炎)を診てもらってる医者に相談
そのクリニックの近くの乳腺外科に紹介してもらう
触診&エコー&マンモで良性と言われる(ひゃっほう♪)
→ 最終確定するために細胞診実施
→ クラスIVと言われ、組織診実施(@Д@;)
2008年9月
乳がん確定
グレード1
ホルモン感受性は強陽性
HER2陰性
乳頭腺管癌
正常細胞に近いガンだと言われる
オペはどこで受けてもいい、ここでもいいし、行きたい病院でもいいと言われる
2008年9月
セカンドオピニオンを受けようと思い、I市民病院に打診するもなかなか予約がとれない
2008年9月
後々のことを考えて、手術を受ける病院は通勤途中にある病院に決めた
そこをセカンドオピニオンの代わりにもした
2008年9月
マンモや組織診はすでに実施済みなため、他の検査をいろいろ受けた
CT、MRI、骨シンチ、出血時間の検査、肺活量検査、身長・体重測定
2008年10月
手術
病理結果は組織診同様
グレード1
ホルモン感受性は強陽性
HER2陰性
乳頭腺管癌 単一
脈管侵襲なし
リンパ管侵襲なし
センチネルリンパ節生検 0/3
大きさ 2.5cm
放射線治療を勤務先のお隣にある病院で出来ないか相談
→ 紹介状書いてもらう
内分泌療法(リュープリン注射&タモキシフェン服用)開始
2008年11月
放射線治療開始
2009年1月
内痔核摘出オペ受ける(〃_〃)
2009年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2009年8~9月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2010年3~7月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2011年4~6月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2011年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2011年10~11月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2012年2月
足底筋膜炎で超―痛い!
2012年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2013年5月
足底筋膜炎復活
2013年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2013年12月
乳がん術後5年の検査(骨シンチ・CT・マンモ・エコー)
全く問題なし
リュープリンとタモキシフェンの延長を頼む
2014年3月
足底筋膜炎復活
2014年4~6月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2014年
CF(大腸内視鏡) 炎症あり
2014年11月~2015年1月
UC(潰瘍性大腸炎)再燃
2015年2月
乳輪に沿ってる傷のところに米粒大のしこりに気づく
翌週一般外科でリュープリン注射をしてもらう予定を乳腺外科に変更してもらった
乳腺外科の主治医は、瘢痕かな、とつぶやく
エコーとマンモ実施
→ エコーには白っぽい塊が見える
マンモは透過してて何もみえなかった
細胞診実施 → 悪性(TДT)
2015年3月
再発手術(腫瘍摘出、日帰り)
一週間後に抜糸(というかテープはずし)
免疫染色は未実施だったが、腫瘍はまとまって存在し、取りきれたと言われた
病理報告をチラッとみたが、「転移」と書かれていた
2015年5月
免疫染色の結果を聞く
ホルモン感受性陽性
Ki67は10%
乳腺外科の受診間隔が振り出しの戻る(6ヶ月毎→3ヶ月毎)
5年目以降、一般外科と乳腺外科を交互に3ヶ月毎だった
(一般外科を受けてたのはリュープリン打ってもらうため)
【勝手なる考察】
★放射線受けたけど再発
→ 正常細胞に近いから分裂速度も遅い
→ 放射線の利きが悪い
★断端陰性だったけど再発
→ 再発は皮膚に近い部分
→ 組織診受けた辺りなので組織診時の播種かも
★タモキシフェン服用中だけど再発
→ これがナゾ
可能性1)プロドラックであるタモキシフェンを活性型に
変換する酵素が欠損あるいは低下
可能性2)タモキシフェンに耐性が出来た
可能性3)内在性(自家生産)のホルモンの量が豊富すぎる
★UC(潰瘍性大腸炎)がいつまでも炎症あり
→ 注腸薬使えばきっと炎症は消える(でも注腸は絶対イヤ!)
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